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2週間入院 by Yasman
2013年12月26日, 12:00 AM
Filed under: yasman

「入院してみよう。」今回の入院は初期の処置がよかったこともあり、
回復が早かったので、5日目で既に全快なので入院の日々を書いてみることにした。

まじに仕事に戻った方がよいと思うが、2週間入院なので、書いてみたいと思う。

僕は、38歳のときに頸動脈解離をやっている。そのときお世話になったのが東京医科大学病院だった。家からタクシーで5分ほどなので、当時左半身が動かなかった僕はタクシーに寝間着のまま飛び乗り、医科大に向かってお世話になった。

今回も家から近いほうがなにかと便利だし、どういうルーティンが行われるか分かっているので、医科大に向かった。

前にも話をしたように、タクシーの運ちゃんが代々木八幡を理解してスタジオに飛ばしていたら事態は変わっていただろうが、幸運にも医科大に直行することができた。

タクシーの中ですでに呂律が回らないので、脳が切れたなとは思っていた。気分も優れなかったので、医科大に入ったときはしばらく受付前に座っていた。

このまま帰れないことも分かっていたので、どの段階で家内に連絡しようかなとか、スケジュールをやたら動かす必要があるなとか、エンジニアの山崎がオリコンからインタビューを受けて少しでも彼女に興味を持って仕事をしてくれる人が増えればよいなぁなどと考えながら時間を過ごした。

そして受付で「す・み・ま・せ・ん、あの、あの」というとすでに察知していたようで、「お通ししますね。すぐ先生を呼びますから。」と言われた。

緊急の場合は、最初に見てくれるのは当直の研修医だ。
呂律の回らない僕を見て、「しびれなどはありますか?」などの
質問をした、そしてCTを撮りましょうとCTに回してくれた。

大抵の場合血管が破れて出血していないかぎり、梗塞の初期の段階ではCTには写らない。以前はこれで家に帰らされ、次の日に身体が動かなくなった。

今回は症状に出ているので、その場でMRIも撮ってくれた。血管が詰まって梗塞が起こっている場合はMRIでないと

でもそれも初期の段階では写らないことが多い。だから、変な頭痛がすると思った人はすぐに病院に駆け込んで、CTだけではなくMRIも撮ってもらうとよい。

だから救急で運ばれるのではなく、自力で大学病院に行った方がよい。街の救急だと取れてCTだからだ。そして、一連の検査を経て、病棟から先生が下りてきてくれた。

多分、鈴木先生がすぐに入院させてくれなければ、僕の症状は変わっていただろう。彼女は僕に、計算式や記憶などの質問をして、どれほどの状態かを検診した。

最初に見た研修医は、「ご家族に連絡しますね。」といい、僕に番号を尋ねたが間違った番号を教えてしまった。というより、まともに番号など言えるはずがなかった。

そしてiPhoneを見せて家内に連絡をしてもらった次第だ。病室に移された僕は、血をサラサラにする点滴と、血圧を少し上げる点滴を施された。

厄介なのは1つ血管が詰まりだすと、そこからまた血の固まりができて、他も詰まりだすことだ。そしてどんどん梗塞が広がってしまう。

ひどい場合は血管が破れて、くも膜下になってしまう。前回は一晩おいたために梗塞が広がり、運動神経が通らなくなってしまった。

今回は、血をサラサラにして血液がこれ以上固まらないように脳の血流を良くして、梗塞ができた部分を緩和していく。これが早いか遅いかでその後の病状を左右する。

だから鈴木先生が上げてくれなければ、今はない。そして、僕の闘病生活は始まった。

そして一つの選択が誤った判断だったことに、後に気がつく。入院する際に、2人部屋がよいか6人部屋がよいかを尋ねられた。当然、2人部屋は余分にかかる。

前回は6人部屋しか空いてなく、6人部屋でなんら不自由を感じなかったので、「6人部屋で」と答えた。そして病室に移され、意識が朦朧とする中、眠りについた。

次の朝、当然気分は優れないし意識もしっかりしない中、うっすらと看護師さんの声が聞こえた。「私、ACIDMANのファンで、武道館が今度あるんですけど、チケット2次も落ちたんですよ。」と頭がぼやける中、話された。

そのほかのことはあまり記憶にない。僕は「あぁ、そうなんですか。」的なことを答えたと思う。頭の中では「いったい、何の話だろうか。きっついなぁ。」と思いながら、「多分、かみさんが職業の話を聞かれて答えたのだろう。」と思っていた。

「余計なことを」と思いながらも、「そりゃ職種とか近況とか聞かれるよな」と理解した。そして、一寝入りした後に、鈴木先生がやってきて「ご気分はいかがですか?検診を行いますね。」と言われ、一連の検診をしてくれた。

その日のことは大して覚えていない。ただ、向かいのベッドは空いていた。向かって右は老人で、左は若い感じの人だった。そして、右隣は苦しそうで、左も痛がっていた。

とにかく、まだ頭が腫れている感じがするので、眠りたい。「ここは動かず、じっと身体が回復していくのを待とう。」

そして次の日、斜め右の人が退院を迎えた。このこと事態もあまり覚えていない。どういう老人で、どういった状態だったのか。

お昼すぎに、ナースステーションから声があがった。「お久しぶりです。出戻りですね。」そして、その方は僕の向かいのベッドに入った。これが、これから僕が体験する大変な生活サイクルの始まりだった。

向かいの80前後の方は演歌歌手のようだ。見たことはないので、ローカルかインディーの歌手なのかもれない。5/2のリサイタルをキャンセルしたといっていたので、現役なのだろう。

今回は、肝臓を患って入院したようだ。そして、問題の夜を迎えた。消灯は10時だ。棟の電気が一斉に消され、ナースステーションだけが少し明るい状態になる。

そしてものの3分としないうちにとんでもないイビキが響きだした。さすが歌手。そんなことは言っていられない。「なんだこれは。」寝られるわけもなく、厳しい境遇を迫られた。

うーん、2人部屋にしておけばよかったと思ってもあとの祭りだ。ここは寝る時間をずらすしかない。食事が終わったらすぐ寝て、夜は起きておくことにした。

食事は6時半から始まるので、8時前には寝られるから消灯まで3時間寝ることに決めた。それから朝まで起きて、朝から10時頃まで寝ることにした。

そして師長さんの配慮もあり、食事の電気をつけ、そこに居させてくれることになった。それから退院まで、日々そういう時間帯を繰り返した。

夜の食堂には、人っ子一人いないのでよく集中でき、メルマガやここ10年手つかずにいた、「ワークオーダー」のデータベースプログラム(請求書を発行するプログラムを、スタジオをスタートする時に作った。)の見直しなど、いろいろできた。

倒れた僕が言えることではないですが、お身体を大切に。
と言っている僕が、できていない。次回につづく。

今年は本当に自分の目標が達成できた年だった。5年前、依田さんに「Blu-ray Musicで失敗したらどうする?」と訊かれ、「腹を切ります。」と答えた。

これは、自分の命に代えてもやり遂げようと思っている。そして、自分の考えているものを作り、多くのファンが指示してくれた。

僕の創造的10年は5年が経過した。まだ、風は吹いている。来年が楽しみだ。

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