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MAX by Yasman
2011年2月15日, 8:33 AM
Filed under: yasman
僕が高校生の時、大阪の寝屋川にある香里園という小さい
町駅にMAXというレンタルレコード屋があった。 


日本盤のレンタルは許諾されているが、輸入盤レコードを
レンタルすることは違法だ。でもそこにはしこたま輸入盤
があって、まことちゃんという優れた店員がいて、僕にい
つも「これ聞きなよ」とレコードを渡してくれた。 


それは小林克也より圧倒的に早く、FM OSAKAより
センスがよかった。彼が勧めてくれるものは絶対ヒットし
ていった。


サンレコが創刊されて2年ぐらいで、エンジニアという職
種さえなじみはなかった。そんな時代なのに彼は「これは
誰々がやっている」とか、「音がナウい。」とか「次は間
違いない。」とか話してくれた。  


MAXが入ってるビルには何故か楽器屋があったりして、
そこにたむろする古着屋の店員や梅田の楽器店で働いてい
た店員の話を聞くのはいつも新鮮で、僕も近くにいたくて、
楽器屋のとなりのカメラ屋でバイトをしていた。 


当時はまだフィルムで「光沢にしますか、つや消しにしま
すか?」と聞いていた時代だった。店主はハゲで太ったカ
メラマンのおっさんだったが、奥さんはとても綺麗で「ど
うしてだろう?」と思っていたが、今はそれも分かる。


カメラ屋にはアメリカ帰りの中村さんという店員がいて、
僕にいつもアメリカの話をしてくれ、半端なく前田少年は
魅了された。いつか行こうと間違いなく決心した。 


その時代はまたドルが固定相場で320円していて、アメ
リカなんてとんでもない国だったから、こうして45万マ
イルも行ったり来たりしている今を思えば不思議なもんだ。 


中村さんはアメリカにいて遊びまくったようで、最後はお
金がなくなってマックのハンバーガーを1週間に分けて食
べたと笑いながら話をしていた。 


ガキの僕はそんなことができるのかと素直に思った。そし
てホームレスのように生活していた中村さんを「おばあちゃ
ん」と呼んでいた人に「これで日本に帰りなさい。」とお
金をもらって帰ってきたらしい。 


その経緯はあまり詳しく教えてくれなかった。B1,B2と
いうビザが必要だった時代だから、また再入国するというこ
とはできなかったのだろう。ひょっとしたら今でもできない
のかもしれない。


楽器屋にたまにやってくるリハスタの店員というかエンジニ
アの人に、プロエンジニアになりたいと話をしたことがあった。
でもその人に「無理だよ」と言われたのを覚えいる。 


それから30年たっても同じことを言われていたりするのが
また不思議だ。カメラ屋は夜9時までで、店を閉める間際に
は酔っぱらったチック・コリア好きのおっさんがよく来て、
チック・コリアの話を散々していった。


JAZZなどないて興味がなかった僕は、ハーブ・アルパート
のほうが好きだなと思っていた。でも彼に言わせるとあれは
フュージョンといって下世話なそうだ。 


いま思い返せば、女っ気がまったくないことにあきれてしま
う。もっとなんか色っぽい話があってもよかったのに、無い。 


夜9時になるとカメラ屋をさっさと閉めて、閉店準備に追わ
れる2FのMAXに遊びにいった。そこにはエプロン姿の静
電気除去スプレーを持つまことちゃんがいて、「カジャグー
グ」や「NEW ORDER」などいつも聞いたことのない
音楽をかけていた。


そんな感覚がいつのまにか自分にもついていったのかなと今
では思う。まことちゃんに会ってなかったら、輸入盤と日本
盤の違いなど知らなかっただろうし、それ以後アメリカプレ
スを手に入れることをすることもなかったと思う。


まことちゃんは今、何をしているのだろうか。 


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